9th Game


 住宅街の狭い道を、俺と井川は並んで歩く。緩い坂道を上りながら、何も喋ろうとしない井川を見やる。井川は変わらず気味の悪い笑顔を浮かべていた。
「お前、何企んでんだよ」
「別に、何も」井川はしれっとそう答える。「ただ、君と話がしたかったんだ」
「話?」聞き返すと、井川は笑みを濃くした。
「自分の身に何が起きているのか、分かってるだろう?」
 その言葉に、思わず立ち止まる。すぐ脇を車が猛スピードで通り抜けていった。「こんなところで止まったら危ないよ」と井川に腕を引かれる。細く小さな手だ。俺は頭一つ分低い井川を見下ろす。ちゃんと食っているのか疑いたくなるほど華奢な体つきに、ごくりと唾を飲み込んだ。心臓がおかしなリズムで脈打っているのが分かる。
 どうして俺はこんなに動揺しているんだ。
「とりあえず、どこかで落ち着いて話そうか」
 井川はそのまま俺の腕を引っ張り、ずんずんと坂を上っていく。「あの公園なんかいいんじゃないかな」なんて言っているが、ほぼ強制的に連行されている。身体を乗っ取られている俺に成す術はなかった。

「で、話って何なんだよ」
 ベンチに並んで腰かけ、俺は井川に尋ねた。学校帰りの小学生たちの視線が煩わしい。寄り道してないでさっさと帰れクソガキ。井川はというとガキ共の視線をものともせず、そいつらの遊ぶ様子を微笑ましげに眺めている。
「君の身体は乗っ取られている。そうだろう?」
 井川の問いに、俺は眉を顰めた。
「何でそれ知ってんだよ」
「あれ、あっさり認めるんだね」
 そう言われて、自分の失態に気づく。俺の馬鹿。しらを切るとか出来ないのか。
 いやそれよりも、誰にも打ち明けた覚えがないのに、何で井川が知っているんだ。
「僕は君に忠告しておこうと思ったんだ」
 まあ、信じるかどうかは君次第だけどね。井川はガキから視線を動かさず続ける。
「君の中にいる悪魔は、いつか君の魂を喰らい尽くす。そうなれば、君は死んだも同然だ」
「死んだも同然?」ふざけるな、と言おうとする。しかし俺の口からは違う言葉が出た。
「わかってる。だから俺がここにいるんじゃないか」
 何を言っているんだ俺は。思わず口を押さえる。頬の筋肉が弛緩していた。
 井川もまた喉を鳴らしてひっそり笑う。
「ああ。期待してるよ」
「任せろ」
 俺はベンチを立った。否、立たされた。転がってきたサッカーボールを思い切り蹴り返し、公園を出る。「どこ蹴ってんだよ兄ちゃん!」と不満げな声が背後で聞こえたが知らん振りをした。
 どうやら井川は俺ではなく、俺の中のあいつに用があったらしい。
 ぬるい風が頬を撫ぜる。夕焼け色に染まっていく空をぼんやりと見つめながら、先ほどの会話を思い返す。井川は目をぎらつかせながらも、口元には綺麗な笑みを浮かべていた。
 悪魔と井川は手を組んでいる。俺の勝手な勘ぐりでしかなかったその考えが、確信に変わる。
 井川の策略か。俺は既に罠に嵌められていたのだろう。自分の失態を思い出して顔を顰める。
 また、悪魔の思い通りに動かされてしまった。
 ――気づくのが遅かったな。
 悪魔が俺の身体を借り、しかめっ面を笑顔に変える。俺の意思など関係ない。これではまるで、操り人形だ。

 翌朝教室に行くと、坂下がもう来ていた。窓際の席で外を眺めている。こいつが朝のホームルーム前からいるなんて珍しい。そう思いながらも、話しかけることは出来ないので見てみぬ振りをして自分の席につく。俺の席は坂下の二つ前だ。
 席について鞄から教科書類を取り出していたとき、不意に背中に衝撃を感じた。驚いて振り向くと、坂下が自分の机を思い切り蹴ったのだと分かった。ただごとではない雰囲気に呑まれ、辺りが静まり返る。
 坂下は怖い顔で俺を睨んでいた。その頬に貼られた大きな湿布を見て、少し心が痛む。
「裏切り者」
 決して大きな声ではなかったが、静かな教室内にはよく通った。
 昨日坂下を殴ったことで怒っているのだろう。最初はそう思った。けれども次の言葉を聞いて、俺は耳を疑った。
「昨日お前と井川が一緒にいるのを見たって奴がいるんだよ。井川と組んで何しようってんだ?」
 公園でのあのやり取りを見られていたことに動揺した。違う、それは誤解だ。声にならない言葉が喉の奥でつっかえる。
「お前はもう俺たちの仲間じゃない。俺たちの敵だ」
 鋭い視線が向けられ、何も言えなくなる。喉の奥が強く締められ、まるで言葉を発することを拒んでいるようだ。悪魔は重要な場面に限って俺の邪魔をしやがる。
 坂下にこんな目を向けられたことがショックだった。ずっと仲の良い友達で、中学で真壁と出会う以前からつるんでいた。何とかして誤解を解きたい。これ以上仲を裂かれるのは嫌だ。しかし方法がない。
 考えあぐねていたとき、大きな音をたてて教室のドアが開いた。クラス中の視線が俺たちからドアに移る。
「よう、中島」
 真壁だった。低く唸るように発せられたその声に、顔が強張る。
 百八十センチの大きな図体がこちらへ歩いてくる。
 肩を掴まれ、強い力で引かれた。
「ちょっと来いよ」
 鋭い眼光で睨みつけられれば、従うしかない。俺は真壁に連行され、半ば引きずられるようにして教室を出た。真壁の爪が肩に痛いほど食い込んでいるが、それを今言える勇気はない。後ろからついてくる坂下も、やはり笑っていなかった。 
 

- continue -

2011/01/18
2012/04/05 修正