12th Game


 硬い地面に勢いよく叩き付けられ、首が音をたてて折れ曲がる。こちらを向いた顔は青白く痩せこけ、虚ろな双眸は宙をじっと見つめたまま動かない。中島の身体から広がっていく血だまりを、俺はただ茫然と見ていた。
 人が死ぬ瞬間を見たのは、これで二度目だ。
 肩を掴まれ、反射的に振り向く。俺の肩を掴んだ真壁は、眉間に皺を寄せて下を見下ろしていた。
「逃げるぞ」
 真壁が言う。そうだ、誰かに見られていたかもしれないのだ。さっと血の気が引いた。
 俺が返事をするよりも早く、真壁は背を向けて屋上から出て行った。俺は慌ててその後を追う。立ち入り禁止のロープを潜り抜け、勢いよく階段を駆け下りていった。
「俺たち、悪くないよな」
 真壁に問いかける。真壁は一瞬こちらに目を向けたが、すぐに前を向いた。踊り場付近で手すりをひょいと飛び越えると、軽やかな足取りでまた階段を降りていく。見えた横顔は無表情だった。こんな時でも、真壁は何を考えているのか分からない。
 心臓が早鐘を打つ。次第に呼吸が乱れ、苦しくなる。それでも後ろから中島が付いてきているような気がして、更に足を速める。背筋を舐められているような感覚に、吐き気がした。
「死ぬなんて、ずるいよな」
 俺は言った。真壁は何も言わず、前を行く。
「逃げたんだよあいつ。あんな大口叩いといて、逃げやがった。馬鹿みたいだ」
 そう言って口角を上げてみせる。乾いた笑い声が校舎の壁に跳ね返り、空しく木霊した。

「なあ、死体を隠そう」
 SHRが終わってすぐ、俺は真壁に提案した。隣のクラスから駆け込んできた俺を見て、真壁は少し眉を顰めた。
「馬鹿、場所を考えろ」
「誰も聞いてねえって。早く、見つかる前に埋めよう」
 あの後何食わぬ顔で授業を聞き流しながらも、内心気が気じゃなかった。いくら人気のない場所とはいえ、いずれは誰かが死体を見つけてしまうだろう。俺たちが中島と屋上にいたところだって、誰かに見られてないとは限らない。中島が死んだことが分かれば、絶対に犯人は俺たちだとバレてしまう。バレたらどうなるかなんて、考えたくない。
 不意に襟元を掴まれ、ぐいと引き寄せられる。真壁は俺の耳元で囁いた。
「落ち着けよ。そんなことしたら俺たちがやったって言ってるようなもんだ」
 こいつだってきっと内心穏やかではないだろう。でも、俺とは違って、真壁は怒っている。あいつが死んだことで自分がどうなるかなんて、考えちゃいないのかもしれない。
「真壁は怖くないのかよ。あいつが死んだとわかれば、疑われるのは俺たちだ。今度こそヤバイって」
「怖くないね」
 真壁の顔に笑みが広がる。こんな状況で、こいつは何故笑えるのだろう。
「殺したんじゃない。勝手に死んだんだ。中島が死んだ原因が俺たちだと誰が証明できる? 何の証拠もない。遺書だって残してない。わかりっこないさ」
 ぎらついた目が俺を捉える。俺は言葉を飲み込んだ。
 周りの生徒たちはこの異様な空気に気づいているのかいないのか、俺たちの存在を視界に入れまいとしているようだ。俺だって出来ることならばこんな危険児と目を合わせたくない。
「無かったことにするんだ」真壁が言って、席を立った。騒がしい教室の中をすり抜けていく。その背中を、ただ見送ることしかできなかった。

 翌朝は最悪のテンションだった。結局一睡もできなかった俺はぎりぎりまでベッドの中にいた。休みたい。学校に行きたくない。しかしずかずかと部屋に入ってきた母さんにカーテンを開けられ、眩しい朝日に目がすっかり覚めてしまった。それで、仕方なく俺はベッドから這いずり出た。
 青い校章の入ったシャツに腕を通し、鞄を引っ掴んで下へ降りる。父さんと母さん、妹は既に食べ終えたらしく、テーブルの上には一枚のトーストと一杯の牛乳だけがぽつんと置かれていた。母さんは鏡台でパタパタと白粉をはたきながら、「お昼代はそこに置いてあるから」と言った。水分の飛んだバタートーストをかじり、牛乳を一気に流し込むと、玄関へ直行した。
「あら、早いのね」
 母さんが珍しそうに目を瞬かせる。俺は何も答えず、横に置かれた五百円玉をポケットに入れて家を飛び出した。母さんのいってらっしゃい、という声が後ろから聞こえた。
 角を曲がって信号を二つ渡り、そこでようやく走るのをやめる。
 目の前を歩くでかい図体の不良番長を見つけ、肩を並べた。
 おはよう、と声をかける。真壁はこちらを向いて「ああ」と言っただけだった。その顔に隈があるのを見て、少し安心した。あんなでかい口を叩いておきながら、やっぱり気になっているんじゃないか。思わずくすりと笑うと、真壁の眉根に皺が寄った。
「いつも通りだ。俺たちは何も知らない。何もやってない」
「うん」
 互いに目を合わせて頷く。少しだけ気持ちが軽くなった。
 服装チェックをしている風紀委員の脇をすり抜け、黒い服を着た奴らはぞろぞろと校門へ吸い込まれていく。俺たちもそれに続く。いつもと何ら変わりない朝だ。
 そう、何も。

 窓際の席。二つ前があいつの席だった。
 落書きで埋め尽くされているであろうあいつの席を見やる。けれどもそこにはまっさらな机と椅子があり、座っていたのは中島の一つ後ろの席にいたはずの生徒だった。
「ねえ、ここ僕の席なんだけど」
「あ?」
 振り向くと、話しかけてきたのは井川だった。
「ちげーよ、ここは俺の席だ」
 言いながら机の中を探る。しかし、置き勉をしていたはずの机の中は空っぽだった。
「よく見てよ、ほら」
 そう言って井川が俺の一つ前の席を指す。その椅子の背中には確かに「坂下 幹」という名前のシールが貼ってあった。
「え、じゃあ中島の席は……」
「中島? 誰だいそれは」
 きょとんと井川が首を傾げる。井川は不思議そうに周りの生徒に「ねえ、中島ってうちのクラスにいたっけ?」と尋ねる。尋ねられた女子生徒二人が首を横に振る。
 最初はふざけているのだと思った。皆、中島を心底嫌っているのだ。存在そのものを否定してしまいたいほどに、あいつを憎んでいるんだ、と思った。けれども担任が出席確認に中島の名前を呼ばなかったことで、胸が妙にざわつきだした。
「先生、中島が来てません」
 俺の言葉に、担任の男教師は怪訝な顔をした。
「坂下、寝ぼけてんのか」
 生徒たちがクスクスと笑う。中島? 新しい彼女? 誰かが耳打ちする。
 まるで、中島なんて最初からいなかったかのような口ぶりだ。最初からいなかった? そんなはずはない。確かに昨日中島は死んだのだ。この目でしっかりと見たのだ。  

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2011/12/28