放課後のチャイムが鳴ると同時に、俺は霧島の元へ走った。霧島は早々と帰り支度を済ませ、今にも教室から出ようとしている。そんな霧島を、クラスメイトは気にも留めない。
「おい、霧島」
声をかけると、生気のない顔が振り向く。お調子者でころころ表情が変わる奴だった。それが、この様だ。同情なんてしない。俺が次の標的にされるかもしれないのだ。霧島に恨みは無いが、仕方ないことだ。俺は自分にそう言い聞かせる。
立ち入り禁止のロープを跨ぎ、階段を登ってドアを開ける。いつもの屋上だ。
ついてきた霧島は、怪訝な顔で俺を見る。
「今度は何だよ」
「あ? 今度はって何だよ」
「ふざけるな。お前が変な噂流したんだろ」
霧島が声を荒げる。どうやら、噂の根源が俺だと勘付いていたらしい。
「一体何の話だ?」
「とぼけるな!」
鋭い視線で睨まれる。これ以上は無理だと悟り、俺は誤魔化すのを諦めた。
「仕方ないだろ、俺だって真壁に言われて、仕方なくやったんだ」
「真壁が?」
霧島の顔が強張る。
「そうだよ。真壁がお前の噂を流したんだ。お前が、魅月を殺したってな」
俺の言葉に動揺したのか、しばらく霧島は黙りこくっていた。井川いわく、真壁と霧島は幼なじみらしい。しかし、仲が良さそうにも見えない。そもそも校内で真壁と喋っているのを、見たことがなかった。
それでも、霧島は動揺していた。
「真壁は、俺を捨てたのか」
「見捨てるも何も、真壁はお前なんて、どうとも思ってねーよ」
霧島は、運が悪すぎた。井川にさえ関わらなければ、この最悪な状況は避けられただろうに。
今回の件に、真壁は一切関わっていない。あいつは霧島の噂が流れようと、どこ吹く風といった様子だった。今朝だって、最初の会話は「今日のメシはまだか」だった。真壁が何を考えているのか、全然わからない。いや、何も考えていないのかもしれない。
とにかく、真壁の名前を借りることに抵抗はなかった。
「恨むなら真壁を恨めよ。俺だって、あいつには逆らいたくない。悪く思うなよ」
俺は呆然とその場に突っ立ったままの霧島を残し、屋上を去ろうとした。
すると不意に、誰かが囁いた。
ーーおい、選ばせてやるよ。
驚いて振り向く。霧島は、何やらぼんやりと宙を見つめている。この場には、俺と霧島しかいない。
誰が喋った?
何が起こったのか分からずにいると、再び誰かが喋りだした。低い男の声だ。
ーーこのまま放っておけば霧島は屋上から飛び降りる。お前が殺したことになる。
「は?」
思わず声を上げた。霧島が、不審そうに振り返る。
「ちょっと噂になったぐらいで死ぬかよ、フツー。メンタル弱すぎ」
ーーあいつの苦しみが、お前には理解できないのさ。家にも学校にも居場所はない。ひとりぼっちさ。
「そんなこと……」
わかるわけないだろう。そう言いかけて、口を閉じた。霧島はこちらをじっと見ている。制服から出る手足はゴボウみたいに細い。表情には覇気がなく、お調子者だった頃とはまるで別人だった。
ーーわかっているだろう? お前は何にせよ、人殺しだ。ここで助けても、こいつは真壁に殺される。お前が手を下すことで、だ。
「ふざけんな! 俺は人殺しなんてしたくない!」
ーーお前に残されている道は、三つだ。このまま霧島を放置して人殺しになるか、霧島を助けて、真壁に殺されるか。もしくは、真壁を殺すか。
真壁を殺す。
その言葉に、息が詰まった。
「全部嫌だ、って言ったら?」
ーーだめだ。涼はお前の選択を待っている。
「リョウって、お前……」
ーーおっと、口が滑った。これは内緒の話だ。
ふふふ、と俺が笑う。何で俺が笑うんだ。自分でもわからない。何かが可笑しい。まるで、俺が俺じゃないような感覚だ。
ーーお前には、止める権利はない。やるしかないのさ。誰かが死ぬまで、このゲームは終わらない。
「嫌だ。もう見たくないんだ、人が死ぬのは」
霧島は虚ろな目で俺を見ている。この目を見たことがあった。何度も見た。自分の正義のために死んでいった奴。笑いながら死んでいった奴。二つの光景が蘇る。忘れようとしていた光景だった。
ーーさあ、選びな。どちらを殺して地獄に堕ちるか。お前を苦しませたのは、誰だ。
冷静な判断なんて、とっくに出来なくなっていた。俺が誰かを殺さない限り、こいつは俺を操り続けるのだろう。リョウがーー魅月の姉が、それを望んでいる。
ぬるい風が吹き、前髪が目にかかる。霧島が戸惑った様子で、俺を見ていた。
少しだけ、息を吸い込む。
「終わらせてやるよ。ゲームってやつをさ」
苦しませたのは誰かって?
そんなの、俺に決まってるだろ。
- continue -
2016/01/10