一匹の狐が、闇を駆けていた。その口元には人間の赤ん坊がくわえられている。狐はしきりに後ろを振り返っては、敵との距離を確認していた。
――まずい。このままでは、追いつかれる。
追いつかれてはならない。この子諸共殺されてしまう。どうにかして逃げ切らなければ。生き延びなければ。一族を滅ぼしてはならない。
――異世界へ逃げるか。
ふと思い浮かんだ。ああその手があった。
迷う暇などなかった。狐は赤ん坊を加えたまま、何やら呟く。すると、狐の行く数メートル先に異空間への入り口が現れた。狐は素早くその中に入り込むと、追っ手たちが付いてこないように入り口を閉じた。
残されたのは、辺りをきょろきょろと見回す何千何万という異形の敵共だ。
何処へ行った。
あいつらは何処だ。
探せ、必ず見つけ出せ。
異空間だろうが何だろうが追いかけろ。
地の果てまででも追いかけろ。
あの赤ん坊を、生かしてはならぬ。
けれども異空間へと飛ぶ術を持った種族など、滅多にいない。生憎、彼らは皆その術を持たない種族の者だった。成す術なしと分かり、彼らは悔しそうに呻いた。そのおぞましい唸り声に、世界全体が揺れた。
そして旅立った赤ん坊。赤ん坊と狐がたどり着いたのは、人間界。ここなら赤ん坊は他の人間に紛れて生活することが出来る。あいつらも見つけ出すのは至難の業だろう。狐はそう考えたのだった。
不意に足音が響く。地面をコツコツと固い音が、どんどんこちらへと近づいてくるのが分かった。狐は慌てて姿を隠す。
「……あら?」
女が赤ん坊を見つけた。月夜に照らされたコンクリートの道端で、赤ん坊は静かに眠っていた。
女は不思議そうに辺りを見回し、赤ん坊の主を探そうとしたが、人通りは全く無い。やがて女は赤ん坊を抱くと、またコツコツと固い音を響かせながら歩いていった。
再び静けさが戻る。
――守らなければ。
狐は赤ん坊の身体の中で考えていた。
――いつかまた、争いが始まる。それまでに必ず……。
そしてそのまま、深い眠りについたのだった。
- continue -